クラシックブドウ浜田農園の成り立ちや、農園のこだわり・想いなどをご紹介します。


当農園は鹿児島大隅半島の南に位置する場所でブドウとマンゴー・ブルーベリーを栽培しています。
ブドウについては栽培販売・ブドウ狩り体験している本土最南端の場所です。

父の想いを継いで

昭和50年代に私の父が田んぼの真ん中にパワーショベルで突然掘り始めて釣り堀をはじめました。家族は大反対でしたがそんな事を聞く父ではなく反対を押し切り始めたのです。
そこで釣り堀をしながら釣ったものを食べさせ一緒にそうめん流しもはじめたのが始まりです。この花瀬公園に観光客が来られるのにお土産が何もない。そこで父が、何か良いお土産はないだろうかと考え観光農園をしようとブドウを植えました。その頃私は高校卒業後、父の勧めで鹿児島の果樹専門の大学、鹿児島県立農業大学校果樹学部に入学しました。
そこで人生を変える出来事がありました。私が在学一年生の冬の時でした、父がくも膜下出血でそのまま亡くなってしまったのです。
その後大学を辞めて継ごうとも思いましたが、まだブドウも植えたばかり。自作で作った雨よけハウスは強風が吹けば覆っているビニールがすぐ破れてしまう状態。
まだ就農できる状態ではありませんでした。
そこで、栽培管理は周りの人に助けてもらいながら管理し続け大学を卒業しました。
その後、農協に技術員で合格しましたが離島での転勤等でブドウの管理などが出来なくなる為、もう一度、鹿児島きもつき農協の一般職員を受け直して農協職員として勤務しました。
そして4年ほど経過してブドウの樹も大きくなり、いよいよブドウも観光農園ができる状態まで育ってきました。
ここで思い切って農協を辞めて就農しました。
家族写真01
家族写真02

苦悩の連続

ブドウ畑のメンテナンス
ブドウ農園を開園するまでさまざまな苦労がありました

当初、勉強もしていたし、たびたびブドウの仕事もしていたので就農することは心配していませんでしたが、いざ就農して農業の大変さが改めて分かる様になりました。

まず一番は天気に左右されてしまうという事です。
このことは分かっていても農業をしていればいつもぶつかる壁です。
鹿児島は台風の多い所ですし、大雨も多い、火山灰も降るなどあります。でもこれらの事は農業をしていれば、何処でもあることだと思えるようになってきました。
これは、年数を重ねブドウと向き合っていくたびに分かってきました。まだ、天気を味方にするにはもう少し時間がかかるかもしれませんが。

それと、やはりお金の問題です。
新規就農するには設備投資などの資金、一年間の運転資金など経営のノウハウも加わってきます。
ブドウは植えてありましたがそこから先のお金を一切仕切ってきましたので本当に大変でした。
父のブドウ園開拓資金、農機具の購入、ハウスの償還、運転資金の捻出など経営のどん底も味わいました。

それと他に、自分で値段が決められないという事です。
市場に出荷すればどんなに良いものを出荷しても、量と信用がないために思っている値段では買い取ってもらえません。
就農した頃は、ここ鹿児島大隅でブドウを栽培している人は誰もいませんでしたのでまず市場に出荷しても高くで買い取ってもらえるわけがないと思っていました。


クラシックブドウの誕生

そこで、何か特徴のあることをしなければ観光農園にわざわざ足を運んでもらえないと考えました。

その頃、クラシック音楽を牛や豚などに聞かして肉質を良くする取り組み、母体に聴かせることによって健康な状態を保ち元気な子供を出産できる取り組みなどを見て、植物に聴かせたら良い影響があるのではないか?という思いと何か特徴のあることをしなければという思いが合致してクラシックブドウが誕生しました。

そこで、ブドウ園の下で生のクラシックコンサートをし開園式をすることで、来ていただいたお客様にも喜んでいただき、同時にPRもできる事で相乗効果を生みお客様を増やすという取り組みを行いました。
でも、これだけでは観光農園主体で全部完売できないので、売れない場合は飛び込みでブドウを売って回ろうと近くの企業、老人ホームなどに業商に行きました。
また、Aコープの店長として在職している知人にお願いをして店頭での販売、他店Aコープにも紹介してもらいそちらでも販売することができるようになりました。

クラシックを聞かせたブドウの美味しさは格別です
ブドウ畑で毎年開催される農園コンサート